蘭方医(大垣)

江戸後期の蘭方医。字は春齡、号は好蘭斎略して蘭斎。


◆経歴

 延亨四年九月、鷲見荘蔵の長男として大垣市伝馬町に生れ、藩医江馬元澄の養子となり、江馬氏を継いだ。

 はじめ家学の漢方を学んだが、46歳で江戸に出て杉田玄白に、ついで前野良沢に蘭方を学んだ。寛政六年(1794)大槻玄沢主催の第一回新元会に集積し、翌年大垣の藤江町に岐阜県最初の蘭学塾好蘭堂を開いた。しかし当時は漢方医のみが知られ、蘭方医の蘭斎に診療を求める者はほとんど無かったが、寛政十年京都西本願寺法主の重病を軽快せしめてから、名声とみに上がった。

 蘭斎はこの塾で文化四年嗣子松斎に家をゆづってからも松斎とともに、さらに文政三年松斎没後の約十年と、計三十五年の長きにわたって教えつづけ、その門下から、小森玄良、藤林泰助、江馬榴園、飯沼慾斎などの俊才を送りだした功績は大きい。

 塾は孫・活堂に受け継がれたが、明治十八年の入門者を以て終わり、九十年の歴史を閉じた。

 墓は大垣市藤江町の禅桂寺にあり、大垣市医師会館前庭に顕彰碑が建てられている。

 著訳書に「五液診法」一冊、「江波医事問答」一冊、「好蘭斎漫筆」二冊などがある。


◆逸話

   蘭斎は「処世訓」、「人生観」を書き残しているが、生来無欲の人で、慈悲深く、病人に接するには親切と実意を以てした。また驕奢を戒め倹約を以て斉家の第一義とする人であった。

◆特記事項

   幕末の閨秀詩人江馬細香はその娘(長女)である。

◆参考図書

   青木一郎「江馬蘭斎」

◆その他資料

   家系図
 書 道
 
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