(1782-1843) |
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江戸後期の蘭方医、典医。字は玄良、号は桃塢また鷯斎。 |
◆経歴 |
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寛政七年(1795)江馬蘭斎に入門し、二年後伏見に帰り、文化三年海上隨鴎に入門、実地診療に専念した。 |
◆逸話 | |
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江馬蘭斎に入門して、藤林泰助(普山)と会知る仲となり、以後生涯の親友となった。ついで二人は海上隨鴎に入門したが、普山は蘭語の基礎的研究を主として行い、隨鴎のつくった「ハルマ和解」からより必要な語を選び出して「訳鍵」を出版した。 |
◆特記事項 | |
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天保十三年仁孝天皇の妹欽宮の診療を命ぜられた。これが蘭方医が宮中に入った最初である。 |
◆参考図書 | |
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山本四郎「小森桃塢伝研究」 |
◆その他 | |
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医 箴 書 幅 |