(1795-1848)

江戸後期の蘭方医。名は道、字は信道、号は誠軒、冬樹、晩生。


◆経歴

  寛政七年一月、坪井信之の四男として、揖斐郡揖斐川町脛永に生まれ、早く両親を亡くして長兄浄界に育てられ、長浜・尾張・江戸に出て漢医学を学び、のち西国に赴いた。

 そして特に文化十二年大分県中津藩医の辛島成庵宅で宇田川榛斎著の「医範提綱」を見て、西洋医になろうと決心し、文政三年再び江戸に出て、宇田川榛斎に入門した。

 文政十二年江戸深川上木場に蘭学塾安懐堂を、ついでに天保三年冬木町に日習堂を開いた。

 ここで初めて和蘭文典を講じ、さらに自らの「診候大概」をテキストとして、脈拍を数え、体温を測定し、患者の病状・診断・予後などについてディスカッションを行うなど、近代的な医学教育を行った。

 天保九年長州藩医となり、兵事にも関与した。

 墓は東京都豊島区の染井霊園にあり、生誕の地に顕彰碑がある。

 著訳書には「ブルーハーベ万病治準」(訳稿本二十一冊)「診候大概」(一冊)、「制煉発蒙」(一冊)、「遠西二十四方」(一冊)などがある。


◆逸話

   坪井信道は蘭方医として伊東玄朴と江戸の人気を分かち合うほどであったが、松本良順は「坪井派にあるものは皆信義の人なり。反之伊東派は専ら利を得ることを旨とせり。故に時の諸有司皆坪井信道先生を以て生菩薩と称し・・・」と書いている。

◆特記事項

  刊行本が一冊もない。
自らの肖像を残さなかった。

◆参考図書

  青木一郎「坪井信道の生涯」