北尾 春圃
経歴

北尾 春圃(きたお しゅんぼ/1658~1741)
万治元年(一六五八)、代々医を業とする北尾家の子とし養老町室原(江戸時代は不破郡室原)に生まれ、父(玄甫)にその業を受け、大垣(船町の全昌寺あたり)に移って、医術おおいに行われた。正徳元年(1711)第八回朝鮮通信使節に随行の医官奇斗文と全昌寺において問答し、これを「桑韓医談」と題して、正徳三年に刊行した。亨保四年(1719)の第九回朝鮮通信使節とも出会い、この時の事は製述官として随行した申維翰の「海游録」に詳しい。著訳書に「桑韓医談」二巻。提耳談五巻、当壮庵家訣五巻など十一種類があるという。墓は室原の福源寺にある。
逸話
春圃自ら持すること高く、大官貴人の来るあるも送迎せず、と伝える。
特記事項
昭和五十一年に李進煕「李朝の通信使」が出版されて、いっそう注目されるようになった。