ラジオホームドクター

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【産婦人科】 高山赤十字病院
中野 隆
(なかの たかし)
6月15日
木曜日
母乳育児の大切さ
6月16日
金曜日
母乳育児を広めるためには

母乳育児は何故大切なの?

母乳育児の大切さ

人間は哺乳動物なのだから、母乳を飲ませるのは当たり前でしょうとか、今のミルクは母乳に近い構成からできているのだから、必ずしも母乳にこだわらなくても良いのではないかといった声が聞こえてきそうですね。

実際、私が産婦人科医になった昭和50年頃は、全国どこでも母乳だけで我が子を育てているお母さんは全体の20%程度にしか過ぎませんでした。第二次世界大戦前は、おっぱいが出ない場合も、もらい乳などをしながらも、基本的にほぼ100%が母乳育児だったわけです。

これが、第二次世界大戦後、急激にこのような変化がどうして起こったのでしょうか。
これは、敗戦後当時アメリカで、当時最新とされた出産後の医療やケアが日本へ施策として導入されたからに他なりません。すなわち、出産は医療者の判断で、陣痛促進剤の使用や、会陰切開などの多くの医療介入がなされ、出産後すぐに、赤ちゃんは新生児室に収容され、授乳は3時間ごとで授乳時間以外は、お母さんと赤ちゃんは離れ離れになるのが当たり前になっていました。そして、おっぱいが出始めるまでは、脱水や栄養不良の予防のため、ほとんどの全ての赤ちゃんに糖水やミルクが与えられていました。

自分を含め、当時の産婦人科医はそれが最新のやり方であると信じ、全く疑問を感じていませんでした。しかし、昭和40年代に戦後の育児について最初に問題を投げかけた人物がいます。それは、当時国立岡山病院新生児科に勤務しておられた故山内逸郎先生です。先生は新生児医療に取り組む中で、ミルクアレルギーによる重症下痢を数多く経験し、新生児の栄養の本来あるべき姿は母乳であり、当時の日本における新生児に対するケアに対する警鐘を鳴らしました。先生は母乳育児を“生物学的当為”であるといい,ヒトが人間になるための基本的な信頼関係を形成するために重要な過程であると述べておられます。

その後、母乳栄養、母乳育児についての重要性に関して、数多くの知見が得られています。母乳栄養や母乳育児は母子の健康増進や母と子の愛着形成につながります。

まず、母乳栄養について考えてみましょう。母乳栄養の恩恵を被るのは赤ちゃんですので赤ちゃんの立場でお話をします。皆様もお聞きになられたことがあると思いますが、母乳は、細菌感染などの感染症を予防することがよく知られています。最初に分泌される母乳を初乳と言いますが、初乳は、出産直後の分泌量はほんのわずかですが、免役グロブリン、特にIgAを多量に含んでいます。IgAは局所の感染を予防する重要な役割をもっています。

次に、ラクトフェリンという蛋白は、赤ちゃんの腸の中で鉄分と結びつき、腸管からの鉄分の吸収を効率よくします。その結果、腸の中の鉄分が減り、分裂増殖に鉄分を必要としている大腸菌が抑えられ、結果としてビフィズス菌などの善玉菌が優勢となります。 また、生きた免疫細胞であるリンパ球などが多く含まれており、この免疫細胞は殺菌力があります。したがって、母乳は、ミルクと違い、生きた細胞が多く含まれている、すなわち生き物であると言うことです。早産で出産された未熟児では、生命の危険に陥る可能性のある壊死性腸炎が起こることがありますが、少量の初乳を与えることで死亡率は大幅に低下しました。このように母乳は免疫学的に非常に優れていると言えます。

次に、母乳は、消化・吸収が優れています。授乳後、胃内にたまるわけですが、胃液と混じることで固形物になります。この塊は、ミルクに比べて母乳は柔らかく、消化・吸収がされやすいと言われています。赤ちゃんにやさしい栄養と言えます。

その他、赤ちゃんの知的発達が良くなるとされています。これは、不飽和脂肪酸が多いためとされていますが、母乳育児に関心を示されるお母さん方の知的レベルが総じて高いからかもしれません。鉄欠乏性貧血が少ないことも知られています。このことはその後の赤ちゃんの発達につながるものであると思います。

また、乳幼児が1歳頃までに、心疾患など特別な病気を持っていないにもかかわらず、突然亡くなってしまう乳幼児突然死症候群という病態があります。これには、両親の喫煙やうつぶせ寝も関係しますが、母乳育児だけで約1/5に低下します。また鼻呼吸になることも大切であるとされています。

幼児期、学童期を通して、生活習慣病の予防効果として母乳栄養は肥満軽減効果があると報告されていますし、血清コレステロール値は成人になると人工栄養児が高く、糖尿病は母乳栄養児で罹患率が40%低いとされています。また、高血圧症も母乳栄養児で少ないとされています。

このように母乳栄養は、乳幼児期だけでなく成人しても良い影響があることが、認められています。

母乳育児を広めるためには

前回のお話しでは、母乳栄養の効果について述べましたが、今回はまず母乳育児の効果について考えてみましょう。
まずはお母さんに対する効果を順次述べます。

  1. 子宮収縮を促すことで出産後の出血量を減少させます。
  2. 授乳により、月経発来を遅らせることで、産後の回復を助け、健康を保ちます。
  3. 癌の予防の観点では、1)閉経前の乳癌の減少、2)卵巣癌の減少、3)子宮体癌の減少をもたらします。
  4. 授乳はお母さんの肥満、糖尿病、高血圧症、高脂血症を抑えることが判明しています。

特に若いご両親にとって経済的に助かるのも大きな利点ですね。哺乳瓶を使用しないことにより、プラスチック用品の廃棄が極端に減ることで環境にもやさしいと言えると思います。

しかし、最も大切な点は、赤ちゃんを抱っこして、おっぱいを吸ってもらうことによって赤ちゃんを愛おしく感じることができ、一方赤ちゃんはお母さんに抱っこされておっぱいを飲むことで、お母さんとして認識します。これにより、双方向の愛着形成すなわち母と子の絆が形成されることです。

これまでお話してきましたように、母乳栄養、母乳育児は大変素晴らしい結果をもたらすことはわかってきましたが、日本において母乳率はなかなか上昇しませんでした。次に世界に目を向けてみましても、全般的に母乳率は低く、地域によっては飲料水の汚染による感染症で、世界で乳幼児が1日5500人死亡するという事態になりました。これでは1年で200万人の乳幼児が死亡することになります。そこで、1989年WHO・ユニセフは、母乳育児を推進する目的に母乳育児成功のための10か条を提唱しました。翌年、母乳育児を広めるための拠点として、この10か条を遵守する病院を赤ちゃんにやさしい病院として認定し、赤ちゃんにやさしい病院が中心となって、母乳育児を地域に広げる方針を世界に示しました。

赤ちゃんにやさしい病院の制度が発足し、日本におきましてもすぐ導入され25年以上経ちますが、現在認定された病院は、まだ72施設です。分娩を取り扱っている病院は約2000施設ですので、認定病院は全体の3-4%に過ぎません。しかし日本における母乳率は次第に上昇傾向にあり、平成27年の厚生労働省の乳幼児栄養調査では、母乳率は、出生1ヶ月後では51.3%、3ヶ月後では54.7%であり、10年前の同調査と比較すると、1ヶ月後は9%、3ヶ月後では16.7%上昇していました。このことは、母乳育児に対するお母さん方の関心が高くなったことと地域での草の根運動が次第に実を結んできているものと喜んでいます。ちなみに、岐阜県における赤ちゃんにやさしい病院は、岐阜県総合医療センターと郡上市民病院の2施設ですが、今後、県内産科医療施設の多くが認定に向けて取り組んでいただきたいと願っています。

しかし、最近、目を覆いたくなるような残忍な虐待による児童の死亡がくりかえし報道されています。母乳育児による愛着形成は、虐待予防(特に育児放棄)の減少につながるとともに、母と子の絆の形成により、子供の将来の精神発達への影響、例えば不登校や引きこもりなどが減少することが期待されています。

近年、自然破壊が進み、このことが心や身体に大きな影響をもたらすと言われるようになりました。この心と身体を「内なる自然」と呼びますが、母乳育児は母と子の絆の形成によりお母さんと子供の「内なる自然」を守り、育てることの一助になると考えています。 母乳育児は、人が人間として育つための重要な過程を担っていますので、簡単ではないにせよ母子の固い絆がこれからの日本を背負って立つ子供たちの健康のみならず情感や感性に少なからず影響があることを信じてこの活動を続けています。

このように母子に対する健康増進の効果は明らかで、2012年の米国小児科学会の方針宣言において、人口3億1千万人の米国では、母乳育児の普及によって乳幼児の疾病予防や母親の乳ガン卵巣ガンの予防などによって約一兆円の経済効果があるとされています。人口886万人の大阪府で周産期医療の中で積極的に母乳育児支援を進めれば、300億円近い経済効果が見込まれるとされており、日本全体にこの活動を広げれば、約4300億円の経済効果が期待されることになります。

最後に、国立岡山病院で新生児医をされていた故山内逸郎先生のお言葉にあるように、母乳育児は“生物学的当為”であり、ヒトが人間になるための基本的な信頼関係を形成するために重要な過程であることを再度述べさせていただいてお話を終わります。